つながらない権利とは?2026年法改正を見据えて人事担当者が今すぐ整備すべき対応策
テレワークが普及した現代、仕事とプライベートの境界線が曖昧になり、勤務時間外の連絡が従業員の負担となるケースが増えています。近年注目を集めている「つながらない権利」は、単なる休息の保障ではなく、メンタルヘルス維持や生産性向上のための重要な鍵として、2026年の労働基準法改正議論でも大きなテーマとなりました。
今回の改正では法制化こそ慎重に見送られたものの、厚生労働省によるガイドライン策定は着実に進んでおり、企業には「法による強制」を待つのではなく、自主的なルール整備が求められています。この記事では、人事担当者が今すぐ取り組むべき実務的な対応策から、海外の先行事例、就業規則への具体的な盛り込み方まで、2026年の最新動向を踏まえて分かりやすく解説します。

つながらない権利とは
近年、働き方改革の文脈でたびたび耳にするようになった「つながらない権利」ですが、実際にどのような権利なのかを正確に把握している方はまだ少ないかもしれません。ここでは基本的な定義と背景から整理します。
つながらない権利の定義
「つながらない権利」とは、勤務時間外や休日に業務上の電話・メール・チャットへの応答を拒否できる労働者の権利のことです。英語では “right to disconnect” と表記され、日本語では「切断する権利」と訳されることもあります。フランスが2017年に世界で初めて法制化したことをきっかけに、欧州を中心に広がりを見せた概念です。
重要なのは、この権利が「業務に関連する通信手段から物理的・心理的に離れることができる」という点にあります。勤務時間外に送られてきたメールを翌営業日まで見なくても不利益を受けない、という考え方が根底にあります。テレワークが当たり前になった今日、この権利への理解と整備は企業にとって避けて通れない課題となっています。
なぜ今「つながらない権利」が注目されているのか
2020年以降のテレワーク普及により、仕事とプライベートの物理的な境界線が急速に曖昧になってきました。在宅勤務では通勤がなくなる一方で、勤務時間が終わっても自宅にいながらスマートフォンやPCで仕事の連絡を受け取り続けるという状況が生まれています。
日本労働組合総連合会(連合)の調査では、勤務時間外に業務連絡を受けた経験がある労働者が72.4%にのぼることが明らかになっています。つまり、3人に2人以上が勤務時間外であっても仕事のやり取りをしている実態があるということです。こうした状況は、精神的な疲弊や睡眠の質の低下をもたらし、長期的にはメンタルヘルスの悪化につながるリスクをはらんでいます。
時間外連絡が引き起こす問題
勤務時間外の業務連絡は、一見すると些細な問題に見えるかもしれません。しかし、その積み重ねが従業員に深刻な影響を与えることが、さまざまな研究や調査で明らかになっています。
まず挙げられるのは、実質的な長時間労働の助長です。正式な勤務時間は終わっているにもかかわらず、メールへの返信やチャットでのやり取りが続けば、それは無給の業務時間となります。次に、睡眠障害やバーンアウト(燃え尽き症候群)のリスクです。就寝前や休日に業務連絡が届くことで精神的な緊張状態が続き、十分な休息が取れなくなります。さらに、こうした職場環境は優秀な人材の離職リスクを高めるだけでなく、時間外連絡の強制がパワーハラスメントとして認定されるケースもあり、企業にとって法的リスクともなりえます。
日本における法制化の動向
「つながらない権利」は海外ではすでに多くの国で法制化されていますが、日本はどのような状況にあるのでしょうか。近年の政策論議の流れを整理します。
2026年労働基準法改正とつながらない権利
日本では現在、約40年ぶりとなる労働基準法の大改正に向けた議論が進んでいます。この改正では、時間外労働規制の強化や管理職の健康確保措置など多岐にわたるテーマが検討されており、その一環として「つながらない権利」に関するガイドライン策定も議論の俎上にのぼってきました。
2025年1月には厚生労働省の報告書において、「勤務時間外の連絡について労使で社内ルールを検討し、ガイドライン策定を進めるべき」との提言がなされました。法律による強制ではなく、まずは指針の形で企業の自主的な取り組みを促す方向性が示されています。日本における「つながらない権利」のアプローチは、罰則を伴う法律ではなくガイドラインによる軟着陸を目指すものであり、その性質上、企業の自発的な対応が求められる形になっています。
法案提出が見送られた背景と今後の見通し
「つながらない権利」の法制化については、慎重な意見も少なくありません。2025年12月、2026年通常国会への法案提出が見送られたという経緯があります。労使双方の調整が難航したことや、業種・職種によって時間外連絡の必要性に大きな差があることが、その背景にあります。
ただし、法案提出が見送られたからといって問題が解決したわけではありません。厚生労働省や経団連、連合によるガイドライン策定の議論は継続しており、将来的な法制化に向けた地ならしは着実に進んでいます。むしろ、法制化される前から自主的にルールを整備した企業が、採用・定着面で優位に立てる時代に入ったと言えます。「法律が整備されてから動く」という姿勢では、規制が整備された時点で対応が後手に回ってしまいます。
企業に向けたガイドラインの動き
法制化が先送りになる一方で、行政・使用者団体・労働者団体の三者が連携してガイドライン策定に向けた動きを強めています。厚生労働省は2025年の報告書で具体的な方向性を示し、経団連も会員企業に対して自主的なルール整備を促しています。連合も組合活動の中で「つながらない権利」の確立を重要な政策課題として位置づけています。こうした動きを踏まえれば、企業が自主的にルールを整備することは、もはや先進的な取り組みではなく、最低限必要な対応になりつつあります。

海外の法制化事例
「つながらない権利」の法制化において、日本は世界の潮流に遅れを取っています。現在、世界約24カ国が何らかの形で法制化を実現しており、その先進事例から日本企業が学べることは少なくありません。
フランス:世界初の法制化
「つながらない権利」の法制化を世界で最初に実現したのはフランスです。2016年に改正労働法が成立し、2017年1月に施行されました。この法律では、従業員50名超の企業に対し、「つながらない権利」に関する労使協議と労働協約の締結を義務付けています。
フランスで法制化の議論が盛んになった背景のひとつは、調査による実態把握です。フランスの調査では管理職の77%がバカンス中も通信機器に接続しており、そのうち82%がストレスになると感じていることが明らかになっています。日本と似た構造の問題が、スマートフォンの普及によって生じていたわけです。日本企業がフランスの事例から学べる点は、単にルールを定めるだけでなく、労使が対話を通じてルールを作り上げるプロセスを重視していることです。
オーストラリア:2024年施行の実態
オーストラリアでは2024年8月26日に「つながらない権利」に関する法律が施行されました。当初は中規模・大規模企業(従業員15名以上)が対象でしたが、2025年8月からは小規模企業(従業員15名未満)にも適用が拡大されます。
オーストラリアの制度のユニークな点は、雇用主が勤務時間外に連絡を取ること自体は禁止していないことです。しかし、従業員は「合理的な状況下においては、その連絡に応答しない権利」を持ちます。応答が必要かどうかの判断基準として、連絡の理由、時間外労働への報酬の有無、従業員の役割・責任の度合い、介護などの個人的事情といった要素が考慮されます。この「合理的かどうか」を判断軸に置くアプローチは、一律の禁止よりも実態に即した運用を可能にするものとして注目されています。
EU・その他の国の動向
欧州ではフランス以外にも多くの国が法制化を進めています。ベルギーでは連邦政府職員を対象につながらない権利が保障され、スペインでは個人データ保護法の中に関連条項が盛り込まれています。ポルトガルは2021年に特に踏み込んだ規制を導入し、企業が就業時間外に従業員に連絡することを原則として禁止し、違反した場合には売上高に応じた罰金を科す仕組みを設けました。
また、欧州議会は2021年にEU指令としての法制化をEU加盟国に求める決議を採択しており、EU全体でのルール統一に向けた議論も続いています。カナダやメキシコの一部でも法制化が進んでおり、「つながらない権利」はすでにグローバルスタンダードになりつつあると言っても過言ではありません。日本企業がグローバルに事業を展開する上でも、海外の動向を把握しておくことは重要です。
つながらない権利を整備するメリットと対応しないリスク
「つながらない権利」への対応は、単なるコンプライアンス上の義務にとどまりません。適切に整備することで企業が得られる恩恵は大きく、逆に放置した場合のリスクも無視できないものがあります。
企業が得られる主なメリット
最初に挙げられるのは、従業員エンゲージメントの向上です。勤務時間外の境界線が明確になることで、従業員は仕事から本当に切り離された時間を持てるようになります。十分に休養を取れた従業員は、翌日の仕事への集中力や意欲が高まり、生産性の向上につながります。これは企業全体のアウトプットの質を底上げする効果があります。
次に、離職率の低下と採用競争力の強化です。特に若い世代を中心に、ワークライフバランスを重視する傾向が強まっています。「つながらない権利」を制度として整備している企業は、求職者へのアピール材料になり得ます。採用市場が売り手市場である現状では、こうした制度の有無が人材確保に直結するケースも増えています。優秀な人材が定着することで、採用・育成コストの削減という経済的なメリットも生まれます。
対応を怠った場合のリスク
一方、対応を後回しにした場合には複数の深刻なリスクが生じます。
まず懸念されるのは、ハラスメント認定のリスクです。上司や管理職が深夜や休日に頻繁に業務連絡を送り、即時返信を求めるような行為は、受け取った従業員に大きな心理的負荷を与えます。悪意がなくとも、そのような行為はパワーハラスメントと認定される可能性があります。次に、労使トラブルの発生リスクです。時間外連絡への対応が事実上の労働時間と見なされた場合、未払い賃金の請求や労働基準監督署への申告につながるリスクがあります。そして、法改正後の対応遅れリスクも見逃せません。ガイドラインや法律が整備された際に、社内のルールが整っていない企業は是正対応のために多大な時間と労力を要することになります。
企業が今すぐ取るべき3つの対応策
「つながらない権利」への対応は難しく考える必要はありません。まずは実践できるところから着手することが重要です。人事担当者がすぐに取り組める具体的な対応策を3つに整理します。
対応策1:社内連絡ルールの明文化
最初に行うべきは、勤務時間外の業務連絡に関するルールを明文化することです。口頭での申し合わせや暗黙の了解では、時間の経過とともに形骸化してしまいます。就業規則や社内ガイドラインとして文書化し、全従業員に周知することが重要です。
基本的なルールの骨格としては、「勤務時間外・休日の業務連絡は原則として行わない」「連絡した場合も翌営業日以降の対応とし、即時返信を求めない」「メールの遅延送信機能を活用し、翌朝の始業時間帯に届くよう設定する」といった内容が考えられます。重要なのは、曖昧な表現ではなく、誰が読んでも同じ解釈ができる具体的な言葉で記載することです。
緊急時の定義と対応フロー例
ルールを設ける際に必ずセットで整備しなければならないのが、「緊急時」の定義と対応フローです。「原則禁止」とだけ定めた場合、本当に緊急の連絡が必要な場面で現場が混乱してしまいます。「人命に関わる事態が発生した場合」「翌営業日まで待てば顧客への重大な損害が生じる場合」など、緊急の範囲を具体的に定め、その際の連絡手段(電話のみとするなど)と承認フローをあわせて規定しておきましょう。緊急時の定義が明確になることで、管理職も「今連絡してよいか」を迷わず判断できるようになります。
不利益取り扱いの禁止規定
ルールの実効性を担保するために欠かせないのが、時間外連絡に応答しなかったことを理由に不利益な取り扱いをしてはならないという規定です。この規定がなければ、「返信しなかったら評価が下がりそう」という心理的プレッシャーが残り、ルールが形だけのものになってしまいます。人事評価、異動、賞与など、あらゆる面で不利益な取り扱いをしてはならないことを明記することが必要です。
対応策2:管理職への研修・意識改革
社内ルールを整備しても、管理職が変わらなければ現場のルールは機能しません。多くの場合、管理職は無意識のうちに時間外連絡を送っています。自分が送った連絡が部下に与える心理的なプレッシャーを認識していないケースも少なくありません。
管理職研修では、まず時間外連絡が部下のメンタルヘルスや生産性に与える影響を理解させることが出発点となります。次に、緊急時の判断基準を明確にし、「本当に今連絡しなければならないのか」を自ら問う習慣を身につけさせます。さらに、部下が時間外連絡に応答しなかった場合も、それを責めないという姿勢を経営トップから発信することが、心理的安全性の確立につながります。研修は一度実施して終わりではなく、定期的にフォローアップを行い、管理職の意識を継続的にアップデートしていくことが重要です。
対応策3:ITツールの活用
人の意識改革だけに頼るのには限界があります。テクノロジーを活用して、仕組みとして時間外連絡を抑制する環境を整えることが、ルールの実効性を高めます。人事担当者はITツールの活用を推奨する通達や研修を実施することで、組織全体での定着を後押しできます。
メール・チャットの遅延送信設定
深夜に作成したメールを翌朝の始業時間に届くよう予約送信することで、受け取る側のストレスを大幅に軽減できます。Microsoft OutlookやGmailには標準で遅延送信(送信日時指定)機能が備わっています。管理職が夜間に思いついたことをメモする感覚でメールを書いても、設定を習慣化することで翌朝の配信が可能になります。「今すぐ送信しない」という意識づけにもなり、内容の見直しによる誤送信防止にも効果があります。
チャットツールの通知管理
業務でSlackやMicrosoft Teamsを使っている場合は、「おやすみモード」や「通知スケジュール」機能を活用して、勤務時間外の通知を自動停止する設定を推奨しましょう。Slackであれば「通知スケジュール」で通知を受け取る時間帯を設定でき、設定した時間帯以外はメッセージが届いても通知が表示されなくなります。Teamsでも「集中モード」と組み合わせることで通知を抑制できます。これらの設定を従業員に活用するよう促すだけでも、勤務時間外の心理的負荷を下げる効果があります。
就業規則への盛り込み方
「つながらない権利」に関するルールは、口頭の申し合わせにとどめず、就業規則として正式に文書化することが長期的な実効性を生みます。ここでは人事担当者がすぐに活用できる実務的な情報を整理します。
就業規則改定の手順とポイント
就業規則を改定するには、いくつかのステップを踏む必要があります。まず現状把握として、社内の時間外連絡の実態をアンケートやヒアリングによって把握します。どの部署でどのような形で時間外連絡が発生しているかをデータとして把握することで、実態に即したルール設計が可能になります。次に規程の草案を作成し、労働組合または労働者代表との協議を行います。
就業規則の改定には、労働基準法の規定に従い、労働者側の意見を聴取する手続きが必要です。協議を経た後、改定した就業規則を労働基準監督署に届け出ます。改定が従業員にとって不利益にならない変更(権利を認める方向の変更)であれば、比較的スムーズに手続きが進みます。また、チャットツールやメールの送受信時刻を可視化する勤怠管理システムの整備もあわせて進めることで、ルールの実行状況を確認できるようになります。
盛り込むべき条文の例
就業規則に「つながらない権利」を盛り込む際は、以下の3点を中心に条文を構成することが推奨されます。
第1に「勤務時間外の業務連絡の制限」です。「従業員は、所定労働時間外および休日において、業務上の電話・メール・チャット等の連絡を原則として行わないものとする。連絡が必要な場合は、遅延送信機能等を活用し、翌営業日の始業時間以降に相手に届くよう配慮するものとする」といった内容が考えられます。
第2に「緊急時の取り扱い」です。「前項にかかわらず、人命・財産・重大な損害に関わる緊急事態が発生した場合は、この限りでない。緊急と判断する場合は、当該事由および対応内容を記録するものとする」のような規定を設けます。
第3に「不利益取り扱いの禁止」です。「時間外連絡に応答しなかったことを理由として、人事評価、異動、昇進その他いかなる形においても不利益な取り扱いをしてはならない」と明記することで、制度の実効性が担保されます。この3点がそろうことで、ルールとして機能する最低限の骨格が整います。
労使間での合意形成の進め方
就業規則の改定は、企業が一方的に定めるだけでは十分な浸透が期待できません。特に「つながらない権利」のように働き方の文化に根差したテーマは、労使が対話を通じてルールを作り上げる過程が、従業員の納得感と遵守意識を高めるうえで不可欠です。
具体的には、労働組合がある企業であれば組合との交渉・協議の場でテーマとして取り上げます。労働組合がない企業では、従業員代表者を選出し、改定内容について意見交換を行います。この過程で現場の声を集めることで、実態に即したルールが生まれ、管理職・一般従業員双方の理解と協力を得やすくなります。合意形成のプロセス自体が、職場全体の意識改革につながることを念頭に置いて進めましょう。
まとめ
「つながらない権利」は、フランスを筆頭に世界24カ国以上が法制化を進めているグローバルトレンドです。日本では2026年通常国会への法案提出こそ先送りになりましたが、厚生労働省・経団連・連合による自主的なガイドライン整備の動きは続いており、将来的な法制化を視野に入れた企業の対応は急務となっています。
本記事で解説した3つの対応策、すなわち社内連絡ルールの明文化・管理職への研修と意識改革・ITツールの活用は、いずれも今日から着手できるものです。就業規則への条文化まで一気に進めることが難しければ、まずは部門単位で「時間外連絡は翌営業日対応」という申し合わせをしてみることから始めてもよいでしょう。法改正を待ってから動くのではなく、自主的にルールを整備した企業が採用・定着・生産性のすべてにおいて優位に立てる時代が到来しています。人事担当者のみなさまには、ぜひ今期の取り組みリストに「つながらない権利の社内制度化」を加えていただくことをお勧めします。